教え方にひと工夫
夏休み期間も終わり、普段のレギュラー授業へと戻りました。
幸いなことに、講師陣は体調を崩すことなく授業へ取り組むことができました。
いつもより子どもたちと接する時間が長かったこともあり、個人的に多くのことを学び気づかされました。
その一つを紹介すると、「どこまで教えるべきか」という点でした。
個別指導ということもあり、塾生たちのレベルはバラバラです。ハイレベルを求める子もいれば、基礎を固めていく必要のある子もいます。
ある程度はこちらから説明していくのはもちろん前提としてありますが、問題はそのアフターフォローをどこまでするべきか、でした。
全てを説明し終わったあとに実践問題へと取り組んだときに、急に分からなくなるケースが多々あります。
今回は、大学受験を目指す高校三年生が英語長文を読解するときのケースです。
その生徒はすでに英文法は網羅しており、文構造把握力もあり、英単語の知識も平均レベルを有している生徒ですが、長文読解になったときにはとたんに読めなくなってしまうことがあります。
その理由を掘り下げて確認してみたところ、英文法なら不定詞や動名詞、仮定法などの単元名が書かれているために何を使えばよいかが分かる一方で、長文には単元が記載されていません。
そのため本文中で使われている『~ing』や『that』がどんな役割を担っているのかが分からないということでした。そのために日本語訳はめちゃくちゃで、解いた本人も相当なショックを受けていました。
もちろん指導してきた私も相当ショックを受けましたが、重要なのはこの状態からどう挽回させていくか、ということでした。
昔なら精神論を引き下げて、自分で調べさせて適切な解答を導き出させたりすることもあったでしょうが、時代も移ろい、子どもたちのメンタルも探究心も変わってきたようにうかがえます。
そこで私がとった手法は「共感」でした。生徒へ共感するだけでなく、生徒に共感させていく手法をとりました。
「先生なら、この『that』を見たらこれだけのパターンの『that』を思い浮かべるよ」
すると、「あー、たしかに!」と納得してくれます。
「そこから各『that』の使い方に合うかどうかを消去法で選んでいけばたどりつけるよ」
この道筋を示していくことで、生徒にとっては一つの経験となり、次へとつながる勉強ができた様子でした。
次に取り組んだ長文でもやはり『that』が出てきましたが、すでに導くルートが分かっているため、スムーズに役割を見出すことができました。
別の生徒にも同じような体験をさせてみると、「初めて長文がおもしろいと思った」と嬉しい言葉を言ってくれました。
このことから「どこまで教えるべきか」という点について考えてみたときに、私の中では一つの結論を得ました。
それは解き方を教えていく中で、重視するべきは解き方ではなく、どう考えたらその解き方にたどり着けるか、ということでした。
解き方は丁寧な模範解答ならだいたい掲載されていますが、そこに至る思考をどう養わせていくべきなのかが重要なのだと気づかされた夏でした。
果たして英語長文を訓練している塾生はこれからどれだけレベルアップしてくれるのか、楽しみでなりません。